【ブログは友達だった】ブログをすべて消してしまったことを少し後悔してる

実は少し後悔している。3ヶ月近くやっていたブログを全てリセットしてしまったこと。

この記事で書いた通り、なんとなくネットの声に流され、収益化のようなことを僅かにだけど考え出してしまってからちょっと色々と、こんがらがってしまって。

もう何も考えたくない、1からやり直したいと思い、本当に全てをリセットしてしまった。

でも、何もすべて消すことはなかったんじゃないか?と今になって思ったりして。

別に全ての記事がダメだったわけじゃなくて、本当に書きたくて、気持ちをぶつけたような記事もあったから。

前のブログの記事インデックスがまだ残っているのを見つけて

それというのも、昨日ネットで検索していたら、削除したブログの記事がまだGoogleのインデックスに残っているのを発見した。

前ブログの記事はすべてインデックス削除申請をしたつもりだったけど、もれていたのか、間に合っていないのか。わからないけど、その記事をクリックしたところでもう記事を読むことはできない。

当たり前だけど、そのことが少し寂しくなった。今思うと、結構いい記事だったと思うんだよね。自分の記事なのに、もう読めないなんて。

その時の気持ちをぶつけた、拙いけど一生懸命書いた記事。二度と同じものは書けない。

私はリセット癖がある

わりと今までの人生、ある程度積み上げたと思ったら壊して、を繰り返してきた。

なんか突然、不意に自分のダメさが恥ずかしくなって、もう全てなくしてしまいたいと思うことがある。

消すことによって生まれ変われるような、そんな気がしてしまうのかな。

消したところで自分がよくなるわけでもないのにね。

ブログは理想の友達のようだった

昔から、人づきあいが苦手で。少なかった友達とも疎遠になって30代半ばの現在、友達はいない。

そんな中、日々ブログに色んなことを書く行為はとても楽しかった。

一方的に書きこむ私の話を、誰も閲覧しなかったとしても、ブログはちゃんと聞いてくれているような気がした。少し孤独から癒されるような感じ。

昔から、「こんな友達がいればいいのにな」と思っていた理想の友達像がある。

会う時はおしゃれしたり、少しいいお店に行ったり、そんな背伸びを一切しなくてよくて、てきとうな格好で河原に二人で座って、コンビニで買ったお菓子やらお酒やらを飲み食いしながら気の置けない話をできる友達。

お互いの話を表面だけじゃなくて、ちゃんと心の中でも否定せずに受け入れられる関係。沈黙になっても気にならず、マイペースにぼーっとすごしたりできる。

そんな、都合のいい友達はなかなかできない。大人になってからは特に。

でも、わりと自分にとってブログはそういう、理想の友達に近い存在だったなぁと思う。

部屋でだらしない格好で好きなことを一方的に書いても、ちゃんと聞いて、そのままを受け入れてくれて、すべて記録に残しておいてくれる。

なんとなくむしゃくしゃして気持ちの行き場がない時、ブログと向き合い、自分の気持ちを文字にして、形にしていくことで心が落ち着いてくる。

世の中には自分の話を聞いてほしい、と思っている人がたくさんいて、「愚痴聞き屋」なんていう職業も生まれていたりする。自分の話をただ否定もせず聞いてもらえるというだけで、人の心は少し癒されるのだ。

そんな風にお金を払ってまで受けるようなサービスを、ブログは私に提供してくれていたんだなぁと思うと、「友達」というのも差し出がましく思う。

「友達」は本来対等であるべきもので、私はブログに一方的に施しを受けていたにすぎないんだから。

今度こそ、ちゃんとブログと友達になりたい

じゃあどうしたら、ブログと本当の友達になれるのか?

友達というのは対等なものだから、私もブログに、何か施しをしなければいけない。

施し…といっても、思いつくことといえばブログを大切に扱う、というくらいしか思いつかない。

メンテナンスなどをしっかりしてちゃんと維持する努力をする。また、不誠実な内容は書かない(人をだますような内容とか)。

この、維持する努力というのが私は出来なくて、一旦放り出してリセットしてしまった。それがブログという友達を裏切ってしまったようで、今さらながら後悔しているのだ。

消したい記事は消すにしても、一生懸命書いた記事、数記事だけでも残しておけばよかったのに。

でも、後悔してももう消した記事は戻ってこない。変えられるのは、これから先の事だけ。

今度こそブログとちゃんと向き合う。拙い記事は恥ずかしいけど、その時の本当の気持ちをぶつけたのなら、できるだけ残しておこう。

これから何年も、このブログと一緒に歩んでいきたい。いつか、本当の友達になれるように。